書籍「踊る昭和歌謡」に出てくる昭和歌謡たち 第3章 マンボ・ブームとニューリズム時代の幕開け
明るい音楽でもりあがる!
1955年にマンボブームがあったようです。
この章は曲紹介がいっぱい。
レッツマンボ!マンボ!マンボ!
ペレス・プラード 楽団 ベストコレクション マンボNO.5 闘牛士のマンボ 南京豆売り セレソ・ローサ CD2枚組 2CD-403
- アーティスト: ペレス・プラード
- 出版社/メーカー: キープ株式会社
- 発売日: 2014/04/18
- メディア: CD
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S盤アワー (1956) オープニング曲 帆足まり子 エルマンボ (マンボ No.1) - YouTube
マンボNO.1がきたら・・・マンボNO.5!
MAMBO No 5 - PEREZ PRADO - YouTube
これを聞いたときはインパクトあったなー。お祭りにマンボつけるなんて。
また、途中からリズムなく「どどいつ」になるんだからすごいね。
- アーティスト: 美空ひばり,コロムビア男声合唱団,ハニー・ナイツ,小野透,原信夫とシャープス&フラッツ,ジャッキー吉川とブルー・コメッツ,原信夫とシャープス・アンド・フラッツ,豊寿,静子
- 出版社/メーカー: 日本コロムビア
- 発売日: 2006/11/01
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これ、欲しいなー。
これも押さえときたい曲ばかり。
これテープがあったなー。よく聞いたなー。
これ映画「shall we ダンス?」で竹中直人が粘っこく踊っていたやつですね。
これが1955年4月に爆発的ヒットをした。
こちらの映画がヒットしたようで。
ダンスホールで皆が踊るといった感じに流行ったらしい。
まだテレビないもんね。
いいなー、ダンスホールでマンボをみんなで踊るなんて。
大津美子: 東京アンナ 歌:beni9jyaku(紅孔雀) - YouTube
ラジオで聞いて家で踊る人もいただろなー。
映画会社とダンスホールをジョイントさせた大掛かりなマンボ・ダンス講習会があったようだ。
ダンスホールで踊れるようになるためにレコード買って家で練習する人もいたようだ。
レコードも売れる!レコード会社も考えたんだ。
マンボは1人でもそんなにがっつり異性と触れなくても踊れる踊りということで流行ったようですな。
レゲェとよく似てる。
マンボブームはこの後のロカビリーやエレキやディスコの先駆けとなったようだ。
マンボ踊る人は不良と思われていたようだ。
そういやどこかで聞いたことあるがロックを聞けば不良と思われていた時代があったそうな。
そんな時代を思うと今は自由だなーと思う。
マンボ追放しよう!という県もあったようだ。
うへー。
しかし、そんなのは横目にブームは盛り上がり次にニューリズムを流行させていく。
ロックンロールとリズム&ブルースだ。
なんでマンボからロック、R&Bに?と思うが当時の若者は熱狂できる踊りができればよかったようだ。
そしてカリプソも流行ってこの曲がヒットする。
私が聞かされたのはこっちのほう。
どんだけ聴かされたか。そしてどんだけ聞いたか。
どうやら私の家の父親の書斎の音楽は時代が止まっていたようだ。
これは夏祭りによく聞いたな~、そして踊ったな~。
この曲で東京音頭と同じように踊れるのがすごいなー。
この章はわくわく音楽がいっぱいでした。
マンボを夏の暑い時にきいて一人踊るのもいいかもしれませんね。
書籍「踊る昭和歌謡」に出てくる昭和歌謡たち 第2章 ニッポン「ラテン音楽」事始め
夏にはマンボ!
前回から踊る昭和歌謡に出てくる曲をたどっています。
shouwakayoudeku.hatenablog.com
踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)
- 作者: 輪島裕介
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2015/02/06
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私が昭和歌謡を好きなのはありえないリズムでありえない歌詞だから。
なんといいますか、なんでもあり!なところがいいのですよ。
今回の第2章は「マンボ!」のことが書かれています。
戦後GHQに占領され大衆音楽は元気になる音楽中心に流行らされてきたようですが、白人種音楽を中心にもりあげられ南米の音楽はあまり記録として残されてきてないようです。
しかし、記録としては残っていないけど日本にはマンボブームという時期があった。
1950年代後半から1960年代前半。
この時代の空気をすっていないので事実を知っているのはその時代を体験した方々。
父親のもっているレコードやらテープを聞いてるとラテン系の音楽がけっこうあった。
美空ひばり 『南京豆売り』 '52.1.3 - YouTube
子どもの美空ひばりが可愛い。
PERCY FAITH - EL MANISERO 南京豆売り - YouTube
こちらが1920年代末から30年代頭にヨーロッパでヒットしアメリカでもヒットした。
で。50年代に日本へ。
マンボ №5 MAMBO №5 ペレス・プラード楽団 UPG‐0193 - YouTube
このへんなんか父親がレコードもってたかな?
Xavier Cugat's Orchestra - Taboo - YouTube
これはドリフでカトチャが「ちょっとだけよ~」に使われていたなー。
闘牛士のマンボ ~東京キューバン・ボーイズ - YouTube
これは1973年に出されたものだそうだけど、東京キューバンボーイズが結成されたのが1949年。
"HANA Hajime & Crazy Cats" - The members' solo ...
ハナ肇とクレイジーキャッツは「キューバンキャッツ」の名前で米軍キャンプをまわっていたらしい。
この章では筆者がバイーアという場所に対しての熱い思いを語っているが音楽情報はあまりでてこない。
次章は1955年から1957年のマンボブームを取り上げていてそっちのほうに曲紹介がいっぱいされている。
なのでこの章はこれにておしまい。
書籍「踊る昭和歌謡」に出てくる昭和歌謡たち 第1章 ダンスホールとジャズの戦前戦後編
みんなで楽しく踊りましょう♪
いま、この本を読んでいます。
踊る昭和歌謡―リズムからみる大衆音楽 (NHK出版新書 454)
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どなたかがブログで書いてましたがその記事を読んでいないのでどんな内容なのかなーと買ってみました。いつもは図書館で済ます私ですが。
さて、気になるのはどんな曲を紹介されているのかということです。
ざっくり読みましたが、押さえどころは紹介されていますね。
その紹介している曲を取り上げてみたいと思います。
どんな曲が紹介されているのか?さあ、いってみよー!!
★アラビアの唄 二村定一 1927年(昭和2年)
日本で初めてヒットした和製ジャズの唄。
1943年には敵国の音楽であるということでジャズ音楽の演奏が禁止になったようですが、それまではジャズのリズムに合わせてダンスホールで踊るモボモガたちがいたんでしょうかね。
★ダイナ ディック・ミネ 1934年(昭和9年)
最初のトランペットの音がいいですね~。
こんなリズムが流れたらそりゃ、踊りたいですわ。
裏面はタンゴだそうで。
黒い瞳(ディック・ミネ)DARK EYES - YouTube
ああ、本の一章で紹介されていて全然前に進めません。
気になる音楽いっぱい。
私ごとですが、趣味でJAZZVOCALを習ってるんですけど目的が昭和歌謡を気持ちよく歌いたかったから。
昭和のジャズカバーされた歌って和洋折衷されててもうアメリカのジャズじゃない。それがよかった。
でもアメリカのジャズ習ったらなんか違うと思ってしまった。
大衆性がないところかなー。
この本でも触れていますが、音楽ってのは楽しい音を出すものではない。
最初は軍事目的があった。大衆を統一させる目的。でもそれがだんだん「みんなで楽しもうぜー」と踊れる音楽になった。踊れる音楽が大衆音楽。それと対となるものが芸術音楽。芸術音楽にはみんなと一緒にという感覚がない。人の心にどのように感動させることができるか。
そういうことが書いてあるのだけど、それを読んで私は大衆音楽をしたかったのかなーと思った。みんなと一緒に踊れて楽しむ音楽。
あ、それてしまいました。
さてさて続いては・・・。
★東京音頭 勝太郎 1933年(昭和八年)
小唄勝太郎(Katsutaro);東京音頭(Tokyo Ondo) - YouTube
これは今ではどこの盆踊りでも流れてくるのではないでしょうか?
結構年輩の方、だれでも踊れる。
これらが戦前のダンスミュージック。
これからは戦後のダンスミュージック。
★ジャングルブギー 笠木シズ子 1948年 (昭和23年)
この笠置シズ子の歌声を聴いたとき、なんじゃこりゃ~と思った。
なんと明るい。なんと悩みを吹き飛ばしてくれる歌声。
こんな歌声を聴くと悩んでいても仕方ないなーと思ってしまうわな。
そりゃ、戦後売れるわな。
黒沢映画で歌われていたなんて知らなかったなー。
まとめ
私の所感なんだけど、戦前のジャズリズムの昭和歌謡は、まあ品よく踊りましょう的なリズムでモボモガたちを虜にしていたと思うのだけど戦後のジャズリズム昭和歌謡は一気にアッパー的なものでいままで我慢していたものを全部出しちゃいなさい!みたいなノリがある。
そりゃ、おかみからジャズ禁止が出てお国のために戦おう!な行進曲的音楽ばかりを流されていたらはじけ踊りたい欲求は高まるだろうなあと思う。
音楽を使って国は上手に慰安していたのかな?国民を。すべてを。
大衆音楽はそんな役目があるんですね。誰かの為ではなくみんなのために。
今回は第1章まで。
コツコツと載せていきます。